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執筆者の写真dao kmetaj

メタバースとDAOについて思う事


今回は、メタバースやDAOについて考える機会があったので、気持ちを綴ってみました

一意見だと思って読んでいただけると嬉しいです


メタバースが中央集権か?そうではないか?


最近「メタバースが中央集権か?、そうではないか?」という問いを受けました

私は、どちらでもない。と思っています


目的を達成させるための組織の形が、中央集権なのかそうではないDAO(分散型自律組織)なのか、どちらか


私にとってメタバースは、その目的を達成させるための手段なので、メタバースそのものはどちらでもないと思う感覚です


私にとってメタバースとは目的に向かって使える多様なツール


メタバースを利用している人にとっては、メタバースは目的に向かって使える多様なツールであり、自分の居場所の一つでもあると思います


そして、趣味で楽しむ人もいるし、もうすでに空間を構築するクリエーターとしてビジネスに結び付けている人もいます

私はもっぱらイベントの場所としてメタバースを利用しているところです


メタバースで何かをする時には、当然メタバースをコントロールしている人がいます。だから制限されているなかでやることになります。それは何においても言えることではないでしょうか


だから、やりたいことが出来ないこともあります。そんな時は、それができるところを探せばよいし、探してそれがないのであれば、他のアイデアを出していけばと思っています。

その捉え方は、メタバースに限らず私生活や仕事でもそんな感じです


DAO(分散型自律組織)とは


DAOの中で活動するためには、『その組織の中で使える自分の力』を知っていて、『自分が何ができるか』も知っている、ということが前提だと思っています


DAOで動くには、その組織の目的の中で、自律心(自立じゃないよ)がないとうまくいきません


※自律心とは“自律”は自分が決めたルールで自らの行動をコントロールする事。

具体例で言うと、一日のスケジュールを手帳に書いて管理することができるようになるのが「自立」で、一日のスケジュールを手帳に書いて管理しようと決めることが「自律」


その組織の中で必要な力が備わっていなかったり、何をしたらいいか分からなければ、誰かに依存しなければいけなくなります。そうすると必然的に指示を仰ぐことになって中央集権的な感じになるでしょう


DAOに挑戦して学んだこと


私は、ちょうど昨年の今頃、DAOに挑戦しました。準備を整え、希望者を募って始めましたが、上手くいきませんでした。3ヶ月で解散したのです。

もともと3ヶ月を1ターンとしていたので、解散しやすかったのは幸いでした


結成して動き始めたのですが、「メタバースで使える自分の力が分からない」だけではなく、「自分自身が何ができるかも分からない」と感じるメンバーが半分以上いました

既にメタバースのことを大まか知っているメンバーと、これからというメンバーがいたのです


そうなると、初めてのことや知らないことに関しては、知っていることを指示をしたりお願いをするメンバーと、それを待つメンバーと別れてしまうことになります

もちろん、そのこと自体が悪いことでではないし、不満が出たわけでもありません


むしろやる気は、双方に申し分ないほどあったのですが、どうしてもお互いに、負担や不完全なことが増え、不安や自己嫌悪感が増してくるといった悪循環になってきたのです


分散型自律にはまだまだ遠く、まずは、それぞれがメタバースを楽しみ、自律的に活動できるようになってからではないと成立しないのではないかと思い、メンバーには大変申し訳なかったのですが、悩んだ末、思い切って解散をすることにしました。


そういうことで、KMETAのDAOをコミュニティに戻したのです

この経緯についてはあまり話してこなかったので、メンバーの中で初めて知る人もいるかもしれません


何にせよ私自身が、DAOについての認識が甘かったのが原因ということは間違いないと思います


今コミュニティに戻したことで、時には中央集権的でもあり、場合によっては自律的な部分もあるといったところではないでしょうか


1昨年前と比べると、それぞれの生活の中で個人的にメタバースを必要とする人が減った一方で、メタバースでやりたいことを見つけた人は、それに向かって進んでいっている気がします(続く)


まだまだ語りつくせませんが、今日はここまでにします

最後まで読んでいただきありがとうございました(#^.^#)

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